前の記事では、ヨガの基本経典『ヨーガ・スートラ』から八支則(ヨガの8つのステップ)について紹介しました(詳しくはこちら)。
この記事ではもうひとつ掘り下げて、八支則の1つめ「ヤマ(禁戒)」、2つめ「ニヤマ(勧戒)」を詳しく解説します。ヨガの用語はサンスクリット語(古代インドの言語)なので聞き慣れないと思いますが、用語を暗記する必要はありません。言葉のニュアンスを掴むことを大切にしながら、読み進めてみてください。
この記事の目次
ヤマとは?
ヤマは、ヨガの経典『ヨーガ・スートラ』で紹介される八支則(ヨガの8つのステップ)の1つめに当たる部分で、日本語では禁戒と訳され、自分と外側の世界との関わりにおいて、やらない方がいいことを指します。ヨガの実践の基礎になる部分で、5つの教えで構成されており、どれも日々の生活に直結した身近な内容です。
アヒンサー/非暴力(ひぼうりょく)
ヤマの一番はじめ、ヨガの基礎中の基礎になるのがアヒンサーで、非暴力、傷つけてはいけないという教えです。ヒンサーは暴力、アは英語のnotと同義なので、アヒンサーで非暴力。他者はもちろん、動物や植物、自分も含めたすべての生きとし生けるものを傷つけないという考えです。暴力を振るわない、言葉選びに気をつけることはもちろん、不遜な態度を避けること、自分を大切に扱うことなども含まれます。
暴力がよくないことは当たり前すぎて「そんなことわかっているよ…」という声が聞こえてきそうですが、もうひとつ掘り下げて考えてみましょう。字面通り、「暴力はよくない」というところで思考が止まってしまっては、アヒンサーを深く理解することはできません。
そもそも暴力を振るってしまうのはどんなときか、想像してみましょう。たとえば、言葉で尽くしがたいほどの怒りが湧いたとき、信頼していた人に思いもよらない形で裏切られて悲しいとき、絶望して自暴自棄になったとき…などでしょうか。怒り、悲しみ、絶望、不安など、強いネガティブな感情が言葉で表現できる範囲を超えたとき、暴力を選択してしまうことがあるように思います。
つまりアヒンサーは暴力を振るわないというだけでなく、言葉で自分の気持ちを伝える力を磨くこと、強い感情をコントロールする力を磨くこと、そのような状況に陥らないように生き方を整えること、などと発展させて考えられるのではないでしょうか。これらは私が考えた例のひとつに過ぎませんので、ご自身なりのアヒンサーの実践を具体的に考えてみてください。アヒンサーの実践は非常に多岐にわたるでしょう。
サティヤ/正直(しょうじき)
サティヤは、嘘をつかない、真実を話すという教えです。ひとつの小さな嘘のせいで、さらに嘘を重ねなくてはいけなくなった経験は誰にでもあるのではないでしょうか。このような状況になると、辻褄を合わせるために色々考えて発言しなければならないので頭は常にフル回転、なんとかその場をやり過ごしたとしても、相手にいつ嘘がバレるか…と常に不安がつきまといます。
ヨガは心を鎮め自分の内側を見つめる練習なのに、このような心持ちでは自分と向き合うどころではなくなってしまいます。もちろん道徳的、倫理的に嘘をつくのはよくないですが、ヨガを気持ちよく実践するためにも、嘘をつくのはやめた方がよさそうですよね。
また、ヤマの1番がアヒンサー、2番がサティヤという順番にも意味があるといわれています。語ろうとしている真実が相手を傷つけるような内容だったら、それを偽りなく伝える必要はあるでしょうか。たとえば「〇〇さんがあなたのこと苦手って言っていた」と、相手にわざわざ伝えるか否か。
こういうときは基本に立ち返って、真実を話してもアヒンサーが守れるかどうかよく考えてみて下さい。もちろん、つらいけれど真実を伝えなければいけない場面はたくさんあります。しかし、ただいたずらに相手を傷つけるような真実をわざわざ伝える必要はないでしょう。真実という正義を振りかざして相手を傷つけることがないよう、気をつけましょう。サティヤを定義することはとても難しく、相手の性格や精神状態、状況などによって変化するので、柔軟な対応が求められます。
アステーヤ/不盗(ふとう)
アステーヤとは、奪わない、盗まないことです。人のものを盗ってはいけないというのは、小さい頃に教わること。一般的に「盗んではいけない」と聞くと想像するのはお金やモノでしょうか。これに加え目に見えないもの、たとえば著作物や商標、アイディアなどの知的財産、さらに時間、尊厳、権利、機会を奪うことなども含まれます。具体的には、サービス残業を強要して時間とお金を奪う、相手の夢を馬鹿にして挑戦するチャンスを奪う、自分の話ばかりして相手を疲弊させエネルギーを奪う、などが考えられます。
さらに、人間社会にとどまらずもっと広げて考えると、私たちは動物や植物を食べ、電気やガスを使い、木を切って家を建て、空気を吸って、自然から色々なものを奪って生きています。そもそも生き物は、他者から何も奪わずに生きていくことができない存在です。だからこそ、アステーヤを実践してひとり占めしたり、自分の都合だけ考えて行動することを慎みます。
あの人はいいなぁ、羨ましい、妬ましい、憎い…こういう感情に振り回されると、相手から奪いたくなるものです。他者と自分を比べるのをやめて、「自分は自分、人は人」という境界線を持つことも大切です。
ブラフマチャリヤ/禁欲(きんよく)
ブラフマチャリヤとは、禁欲です。字面通りに受け取れば性生活の節制ですが、欲に溺れてエネルギーを浪費しないこと、本来向けるべきところにきちんとエネルギーを使うことを意味します。
食欲や性欲を満たすこと、新しい経験をすることなど、五感を満たす快楽で得られる満足は中毒性があり、またすぐに欲しくなることは想像に難くないでしょう。こうなっては気もそぞろで、自分と向き合うヨガの準備がなかなか整いません。だからこそブラフマチャリヤ、つまり欲望に振り回されず、自分の行動を自分で修めることが必要になるのです。
ヨガ発祥の地、インドの昔の修行者は五感を満たす快楽を完全に断っていたかもしれませんが、現代の日本を生きる私たちにとってすべての快楽を断つことはあまり現実的ではないように感じます。私たちが現実的に、そして意識的にできることとして、欲望を完全に断つというより、快楽はほどほどに節制し、欲望の火が燃え上がらないように気をつけることが大切です。
アパリグラハ/不貪(ふとん)
アパリグラハとは、貪らないこと、必要以上に持たないこと、無所有の教えです。
何かを所有することは安心や満足を生み出します。たとえばお金があれば安心、明日食べるものがあれば安心、家があれば、パートナーがいれば、資格があれば…。しかし所有することは安心・満足と同時に、執着と失う不安を生み出します。アパリグラハは、安心とセットで必ず不安もついてくるならば、無所有になって不安や苦しみも手放そうという考えです。
とはいえ、安心を手放すのは非常に難しいことです。これを実践するにはまず、「所有することで安心を得られるが、いくら所有しても完璧な満足はない」ことに気づく必要があります。100万円あったら安心と思ったのに、100万円所有したら200万円ないと不安になる…という具合に、安心には完全な満足はありません。所有しているものが多ければ多いほど、執着と失う不安も多くなってしまうのです。
ニヤマとは
ニヤマは、八支則(ヨガの8つのステップ)の2つめで、日本語では勧戒と訳され、自分を高めるためにやった方がいいことです。ヤマと同じく5つの教えで構成されており、自分を整えてヨガの練習に集中する準備となります。
シャウチャ/清浄(せいじょう)
シャウチャとは、清潔を保つことです。心身を清潔に保つことも、場を清潔に保つことも含まれます。私たちの身体はお寺のような場所、つまり自分自身の入れ物です。お掃除の行き届いたお寺のように、大切な自分の入れ物である体は綺麗に保ちましょう。また、色んなことを感じ取る役割を持つ心は、汚れが溜まりやすいです。心が疲れていたら休ませる、美しいものや考えに触れて浄化するなどのお手入れも必要です。
また、場が乱れていると集中力が削がれ、色々なものが目に入って思考が飛び回り、落ち着きを感じにくくなってしまいます。身の回りの整理整頓を心掛け、ヨガの練習に向かう準備を整えましょう。
サントーシャ/知足(ちそく)
サントーシャとは知足、つまり足るを知る、今あるものに満足することです。私たちはどうしても無いものに注目しがちで、たとえば今よりもっと性能の良い家電が欲しい、今の自分はダメだからまったく満足できない、などと考えてしまいます。
しかし、最新の家電がなくても生活できているし、自分の自由意思で動かせる何にも代えがたい体と心を持っています。もっともっと!と何かを足して満足を得るのではなく、今あるものに満足する、小さな幸せを見つけることを大切にしてみましょう。
タパス/苦行(くぎょう)
タパスは日本語では苦行と訳されることが多いようです。苦行というと、長い断食をしたり、針の上で寝たり、火の上を歩くなどを想像するかもしれませんが、そういった類のものではありません。タパスは熱いという意味の「タパ」が語源で、熱心に取り組む行ない、修行のこと。
タパスは自分で決めて行なうことが非常に大切で、人に言われてさせられることはタパスにはなりません。自分のために自分で決めたことを全うする、自分との約束を守るには、熱意が必要です。この熱意を持った行ないのことを、タパスといいます。
スヴァディアーヤ/経典読誦(きょうてんどくじゅ)
スヴァディアーヤは、聖典・経典を読むことです。聖典・経典は、一度読んでで理解できるようなものではなく、自分の成熟度によって受け取れるものが異なるち言われています。字面通りの意味しか受け取れないこともあれば、何度も繰り返し読む中でもっと深い意味に気づくこともしばしば。聖典・経典の知恵を借りながら、精神的な成長を目指していきましょう。
イーシュワラ・プラニダーナ/自在神祈念(じざいしんきねん)
イーシュワラ・プラニダーナは自在神祈念と訳されますが、この訳だけ見ると何を意味しているのかとてもわかりにくいですよね。簡単にいうと、イーシュワラとはすべてのものの背後にある自然の摂理、理(ことわり)のようなもののこと、プラニダーナは敬意を表すこと。つまり、イーシュワラ・プラニダーナは自然の摂理に敬意を表すことです。
自然の中には、人間の力の及ばないこと…たとえば天気の変化、天体の完璧に調和した運行、私たちの身体の完璧な仕組み…など、まるで神の御業としか思えないような完璧なもので溢れています。このすべてのものの背後に満遍なく広がる見えない力がイーシュワラです。
イーシュワラに敬意を払うことは、目に見えないものを大切にすること。日常ではつい、目に見えるものだけを信じてしまいがちですが、目に見えないもの(思いやり、愛、誠実さなど)を信じる力も大切にしていきましょう。
ヤマ・ニヤマを日常に取り入れよう
最初にもお伝えしましたが、ヤマは自分と外側の世界との関わりにおいて、やらない方がいいことです。やらない方がいいことなので「〇〇してはいけない」という形で表されますが、これはルールや法律とは違います。暴力を振るったからだめだ、嘘をついたからだめだ、たくさん所有しすぎているからだめだ…など、善悪の判断基準であるという理解では、5つのヤマが教えてくれる大切なことをほとんど受け取れません。
また、ニヤマは自分を高めるためにやった方がいいことです。たしかにこれらを実践すれば自己研鑽になりそうですが、よく陥りがちなことに、これらを守れないと「自分はなんてダメなんだ…」と自分を責めてしまうことがあります。ヤマ・ニヤマは落ち着いてヨガの練習を行なうために、心を鎮めるためのもの。自己否定で心をざわつかせてしまっては、本来の目的から遠ざかってしまいます。
ヤマ・ニヤマを実践すると、だんだん自分自身やまわりと調和した生き方ができるようになります。すると、不安や苦しみが減り、落ち着いてヨガに取り組むことができるようになるでしょう。ご自身の生き方を整え、日々を穏やかな心で過ごせるように、ぜひヤマ・ニヤマを日常の中に取り入れてみてくださいね。